歴史の中のなだ万
 
1830年天保元年の創業より、なだ万は政財界をはじめ世界各国の要人の方々にもご愛顧頂いて参りました。近年では東京サミットの公式晩餐会や、G7(七カ国蔵相・中央銀行総裁会議)の夕食会の会場として、また、2005年に開催された愛知万博では、万博協会からの要請により日本料理の代表として出店。皇族の方を始め万博会場にお越しの国賓の方々にもなだ万の味をご賞味頂きました。

日本料理の正道を守り、さらに時代にマッチした味やスタイルを追究しながら、これからも世界の歴史と共になだ万は歩み続けて参ります。
ヴェルサイユ条約(1919年)  東京サミット(1986年)  愛知万博(2005年)
ヴェルサイユ条約  1919年(大正8年)
訪欧時(1919年)
訪欧時(1919年)
西園寺公望公
西園寺公望公
大勲位菊花章頸飾受賞時(1928年)
1919年(大正8年)、前年11月に終結した第一次世界大戦の講和会議がパリで開催されることになり、日本から全権大使に選ばれたのが、第12代・第14代内閣総理大臣を務めた最後の元老、西園寺公望公爵でした。

この訪欧に際し、西園寺公望公より「往復の船中食と彼地における調理の全責任者を、第一流の料理人の中より抜擢、随行せしめよ」とのご指示から、日本中の料理業界は湧きに湧き、最終的に全国の当代一と自他称する百余の名人の中から、三代目の「灘萬」当主、楠本萬助が選ばれました。
パリへは海路の時代、移動日数も数週間にわたり、船中でのお食事、そしてパリに到着してからのお食事と晴れの舞台で料理の腕を振い、西園寺公以下皆様よりご賞賛を頂戴致しました。

当時、このパリ随行料理人に選ばれることは”大正年間における日本一の料理人”の座を手中にすることを意味したことから、大変栄誉あることであり、料亭「灘萬」の名を広く知られる出来事となりました。

※1919年6月28日、15編440条からなる講和条約の調印式がヴェルサイユ宮殿 鏡の間で行われたことから、ヴェルサイユ条約と呼ばれております。

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