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| 訪欧時(1919年) |
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西園寺公望公
大勲位菊花章頸飾受賞時(1928年) |
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1919年(大正8年)、前年11月に終結した第一次世界大戦の講和会議がパリで開催されることになり、日本から全権大使に選ばれたのが、第12代・第14代内閣総理大臣を務めた最後の元老、西園寺公望公爵でした。
この訪欧に際し、西園寺公望公より「往復の船中食と彼地における調理の全責任者を、第一流の料理人の中より抜擢、随行せしめよ」とのご指示から、日本中の料理業界は湧きに湧き、最終的に全国の当代一と自他称する百余の名人の中から、三代目の「灘萬」当主、楠本萬助が選ばれました。
パリへは海路の時代、移動日数も数週間にわたり、船中でのお食事、そしてパリに到着してからのお食事と晴れの舞台で料理の腕を振い、西園寺公以下皆様よりご賞賛を頂戴致しました。
当時、このパリ随行料理人に選ばれることは”大正年間における日本一の料理人”の座を手中にすることを意味したことから、大変栄誉あることであり、料亭「灘萬」の名を広く知られる出来事となりました。
※1919年6月28日、15編440条からなる講和条約の調印式がヴェルサイユ宮殿 鏡の間で行われたことから、ヴェルサイユ条約と呼ばれております。
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